エナジーLIFEブログ by MaaS of the KING

人生を少しづつハピネスにしていくエッセンスをぶち込んだブログです。

あの時の想いを掘り返すとき。


アイドルを見るとき、真っ先に思うのはかわいい。だろうか。
私の場合、自分も頑張らねば。という思いが(ほぼ同時だが)先にきた。

 

 

本当にやりたかったことを叶えて、それをみんなに共有できる。それを一心不乱に応援できる。あの時ステージに見たまいまいは、推しというより同年代としてかっこよかった。その時のライブが映像化された。なんか、うるっときた。ただ楽しいはずなのに。
男子高から合唱を始め、ハマったきっかけは音楽の趣味が欲しい&女の子とお話ができる、偶然隣の子が知っていた、、と今となっては何とも不純な(笑)。。しかし、こんなにも心を救われ、憧れ、考えさせられ、青春を彩ってくれたアイドルに出会えたのは幸せだった。
関西の、あの何とも言えないノリの良さと懐の深さ。小中といじめられっ子だった自分的にとっても救われる世界観だったのかもしれない。その最初のライブ現場が、より活き活きと蘇っている。心動かされないはずが無い。

 

 

新中野で心地よい珈琲の香りに包まれながら当時の思い出に浸った後、丸の内ピカデリーに足をのばした。

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fukushima50という映画を見た。ドルビーシアターってのもあったけど、本当に泣く寸前までいった。自分で危ないと思うほどだった(笑)。

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king9050.hatenablog.com

 

去年の秋、岩手宮城を訪れてこの目で復興の今を見てきた。つい先日、常磐線全線再開に沸き立つYouTuberたちを見ながら、いつかは乗り通さねばと思った。そして今日、福島のあの時を見た。
当時小学生だった自分が見ていた報道の1部は現場の上っ面でしかない。原子炉と人間の、人間と人間の、現場と国の、果てしない対話がそこにはあった。上辺の記憶の裏側に、fukushima50の存在があったこと、忘れてはいけない。
復興五輪があろうと無かろうと、あの時はあったのだから。ひたち号に手を振っていた地元の人達にも、あの時はあったのだから。

 

 

このご時世に、この1日に、これだけの感情の起伏を得られるとは思わなかった。
期間限定で公開してくれる運営の暖かさ、映像化されて初めて気づく推しの弾けんばかりの笑顔と歌とダンス。
常磐線動画の広告でふと出会った奇跡とドルビーシネマの表現力、大学生になり少しばかり知識が増えた中でみるあの時の現場。

 

 

その時現場にいた時はただ全力で、気づかなかったとしても、
あの時の現場にはもっと沢山のモノが詰まっていた。
全力で命を使っていく。そういった使命に生きる姿。
それを享受できる幸せとそれに気付いた者の義務を感じて。。

 

 

帰り道、いつもは最寄り駅までノンストップで飛ばしてくれるライナーに課金するところだが、今日は準急に乗った。池袋を出てしばらくJRと併走したのち、車輪を軋ませながら大きく左に進路をとった。離れていく二階建てグリーン車の中にも、沢山の人間の営みが灯っていた。
あの時の50人にも、日常の灯火がついただろうか。
さいたまの地で、私の燈を灯してくれたのは間違いなくたこ虹であった。
また 福島と大阪、行ってみよう。
2本のレールが続く限りー